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「Archigram」

アーキグラム(Archigram1961年-)

1961年にイギリスで結成された建築家集団で、ピーター・クックやデヴィット・グリーン、マイク・ウエッブ等が中心メンバーだった。
当時、世界の先進諸国は大戦を終え、大衆消費社会のため工業化が加速度的に進行していた。
一方、ラジオの時代からテレビの時代に入り、印刷メディアは多様となり、芸術活動は反体制的色彩の濃い活動はアングラ(アンダーグラウント)度を増していった。
アーキグラムはこうした時代を巧みに捉え、「建築」の概念を幅広く、ラディカルに変容させようとしたもので、色々な業界にも影響を与えた活動となった。
その中心となったのが発足時から1970年まで、合計九号続いた雑誌でもあり、報告・提案書でもあった「アーキグラム(Archigram)」。まるで、建築という概念も情報として「消費」されることを積極的に目論んだ内容は実験と空想に溢れたファンタジックな世界が広がっている。
この情報に軸足を置いた活動は、同じ頃、日本で黒川紀章や菊竹清訓の建築家と、工業デザイナーの栄久庵憲司等が中心となって結成したメタボリズム(METABOLISM)が具体的な建築・都市デザインを提案し、実現することしか眼中になかったこととの違いは明らかで、言葉を変えれば「ペーパー・アーキテクチャー」のアーキグラムに対して、メタボリズムは普段の建築設計の範囲内にあったということになる。
そんなことで、代表作といっても概念のみに留まっているが、何と言っても1964年の「ウオーキング・シティ(Walking City )」は建築が動かないことに対するカウンター・カルチャー的な手法をとっていて、今日においても普遍性のある批評としての建築の定番であり続けている。
この建築やデザインの空想性の流れはイタリアに移り、アーギズームやスーパースタジオといったラディカル・デザイン活動に結びつく。

また、雑誌「アーキグラム」で描かれた建築の外観は1970年代から始まる「ハイテク建築」様式のさきかげとも言われ、鉄筋コンクリートの重々しさは欠片もなく、今日のトレンドとさえなっている「軽い建築」を連想させる。




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