.



「伝統工芸と地場産業」



伝統工芸と地場産業

1974年、通称「伝産法」(伝統的工芸品産業振興法)が公布され、全国各地の伝統工芸の産地から申請を受け、「伝統工芸品」が認可されていった。
時代は工業立国が達成され、高度経済成長期を経て石油ショックのまっただ中だっただけに地方においては新しい発展の活路を見いだす思いだった。
長いものだと室町時代から鎌倉時代まで遡ることの出来る伝統工芸品は特別なものでなく、初期においては生活道具そのものだったし、やがて商業が発達すると、地元の特色を活かした商品という色彩を増して切磋琢磨し、近代まで生きながらえたものである。

それは木工や漆器、鋳物や金工、陶磁器から織物、竹細工から文具、人形やこけし、和紙とか刃物、鼈甲細工や提灯と数え上げたらきりがないほどバラエティに富んでいる。いわば、そのほとんどが手作り品で、これだけ膨大な種類が残されている国は、先進国でも日本だけである。
その特色は何と言っても地域性にある。
例えば埼玉の春日部桐箪笥は江戸の豊かな経済圏にあって、同時に商品パッケージとして霧箱作りが発達した。
また、陶磁器の産地はいずれも個性豊かに「土」が採れる土地でもあるし、南部鉄器の鋳物は良質な北上川から採取される砂を抜きに成り立たなかった。越後三条打刃物や越前打刃物といった包丁の産地も同様であるし、漆の輪島塗りは湿度の高い半島の立地が支えている。
伝統工芸品と地場産業はそうした意味で表裏一体の関係で発達したと言って良いだろう。
問題があるとすれば次の三点をある。
多様化された極みが伝統工芸の特色だったはずなのに、それを選別して意味のない認定にして範囲を狭めてしまったこと。
手作りということは人件費の高騰には対処出来ず衰退したか、発展途上国に移植し、他国に伝達して国益を失ったことが上げられる。
最後は工芸品保護には繋がったが、それを貴重品化してしまい、従事者の堕落を招いたことである。こんな補助金、助成金がまかり通っている産業は他に存在しない。
そうした意味で、現状においてはプロダクトデザインの対象として捉えることには無理がある世界から一歩も抜け出ておらず、幾つものプロジェクトは無駄に終わるシナリオになっている。デザインする土壌としてまことに惜しまれる。




2019 Syohei mihara design studio.All right reserved.