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「照明のヤマギワ」

照明のヤマギワ

1923- 創業(山際電気商会)
1946-株式会社山際電気商会
1947-創業者山際弘文他界
1949-山際俊夫社長(16才)
1952-山際電気株式会社
1954-照明部開設
1966-Yamagiwaマーク制定(デザイン亀倉雄策)
1968-第1回ヤマギワ国際照明コンペ 審査員-丹下健三委員長、亀倉雄策、ジョージ・ネルソン
1969-第2回ヤマギワ国際照明コンペ 審査員-亀倉雄策、剣持勇、清家清、E・ソットサス
1970-ヤマギワ電気株式会社に名称変更 LDヤマギワ研究所設立
1971-小長谷兵五が社長に就任
1972-ヤマギワ工作所設立
1973-山際俊夫他界
1975-ヤマギワインテリア開発設立
1979-ヤマギワ株式会社に移行 TLヤマギワ研究所設立
1983-リビナ・ヤマギワ店開店

2011-企業再生支援機構により整理
2012-株式会社マルワに企業譲渡

残念ながら初心貫徹、大成功ではなかったが「ヤマギワ」の残した功績は、とてつもなく大きい。

日本の高度成長後期である60年代後半、片方では泥臭い商業主義が定着しつつあったが、ヤマギ
ワは別の道を歩み始めていた。まず、会社のマークをグラフィックデザイナー亀倉雄策に依頼した
経緯は「追悼・亀倉雄策(リクルート)」に詳しい。東京オリンピックのマーク、ポスターで、超
一流の名声をほしいままにした存在である。どれだけ分不相応だったかは明々白々だったが、この
事が思わぬ相乗効果をもたらす。やはり、一流を目指すのであれば一流と交わるべき好事例である。
実話は披露されていないが、亀倉の縁でイサム・ノグチのAKARIシリーズを販売することにな
るし、当時、ようやく芽生えたリビングデザイン・ブームには北欧のPHランプやヤコブセンの照
明器具が注目を集めた。真似せずに、契約して輸入販売する。ヤマギワの得た信用は内外に知れ渡
った。(「室内」1983年11月号・対談/小長谷兵五)
また、一流家具メーカー並にデザイナーと契約してロイヤリティーを支払った数少ない企業である。
これらのデザインと合わせ、世界の照明器具を収めた「Yamagiwaz」のカタログはとても
眩しかった。
結局、今世紀に入って、経営の柱の一つになっていた家電販売から撤退を始めているが、もう少し
コンパクトに照明器具販売だけを専業としていたら、と悔やまれる点もあるが、時代にヤマギワが
存在したからこそ輝いているものもある。デザイン界には大きな即席を残したと言えるだろう。

※個人的エピソード
70年に「トライメッシュ・シリーズ」を商品化してもらった。後、打ち合わせに行くと必ずコンビ
ュータで即席プリントアウトされたものを見せられ、同シリーズの販売実績を見せてもらえた。最
終的に15年くらい販売が続き、年2回のロイヤリティーを受け取った。過去、契約した企業の中で
はもっとも信頼出来る存在だったと思っている。



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